真奈美さんは保険の説明を終えると、小さく深呼吸をしました。
「私の説明で判って頂けましたか… 保険っていろいろ複雑ですから、上手く説明できたか…」
「はい… 大体は判りました…」
言葉とは裏腹に、私は殆ど説明を聞いていませんでした。聞こえていなかったと言う方が正しいのかも知れません。
真奈美さんが話している間、頷く素振りをしながら、心の中で「交換条件」を彼女に持ちかける言葉を探していたのです。
「じゃあ… 質問があったらどうぞ」
今だ… 今、言うんだ…
「ん… あの…」
私の心臓は、まるで一つの生き物であるかのように激しく鼓動を続けます。
口の中は乾ききり、背中は火照る熱さで汗が滲んででいます。
言ってしまえ… これは取引なんだから…
もしかしたら、彼女だって条件を出されるのを待っているのかも…
「あの… もし… 保険に契約したら… 」
私の言葉はそこで途絶えました。それは理性などではなく、私自身の小心が続く言葉を呑み込ませたのです。
「え?… 」
真奈美さんは、私の口から出掛かった続きを聞きただそうとしました。
「もし契約したら… その代わりに… あの… 」
緊張と焦りで口元が震え、言葉が上擦ります。
最も大切な最後の交換条件が固まりとなって喉につかえ、口から出ようとしません。
この場で何を躊躇っているんだ…
そのつもりでここに来たんだろ…
焦りは動揺に変わり、硬直する体から汗が浮き出ます。目の前にいる性の理想が、私にとっては遥か遠い存在にすら思えたのです。
真奈美さんは女性の本能で私の変化を感じとったのかも知れません。明らかにそれまでの私とは違う思惑と企みを察した様子です。
二人とも無言になりました。
ほんの数秒だったとしても、私には長い時間に感じられたのです。
「じゃあ… そろそろ帰りましょうか。二度も時間を頂いてありがとうございました。」
それは先ほどまでの真奈美さんとは全く違う、笑みの消えた無機質な言葉と態度でした。
彼女はテーブルの上のパンフレットと資料を封筒に入れ、私に手渡しました。
店の外は人通りも減り、灯りを消している店もいくつかあります。私は真奈美さんの少し後ろを離れたまま、互いに言葉を交わすこともなく駅へと歩いたのです。
>> 欲望と官能のブログをもっと見る(FC2)>> 男女の性に関するブログをもっと見る