駅まで歩く私の体からは力が抜け、周りの様子も目に入りません。俯いたまま、ただ黙々と真奈美さんの後ろを歩いたのです。
「じゃあ、私は小田急線で帰りますから。川島さんは逆方向の新宿経由ですね…」
私はただ無言で頷きました。
「私は気にしていませんよ… 契約する代わりの条件を出す男性は多いですから…」
彼女から言葉をかけられても、私は伏せた目を上げることが出来ませんでした。
「もちろん、全てお断りしてますけどね…」
見透かされていたんだ…
保険の交換条件など、彼女にとっては浅はかな魂胆だったんだ…
真奈美さんの体を自分のものとするために、交換条件という卑劣な方法で叶えようとした私を、きっと彼女は軽蔑していることでしょう。
私は真奈美さんから向けられる見下すような視線を逃れるように、顔を伏せたままうなだれていたのです。
「川島さんは彼女… いるの?」
「いえ… いません…」
「そうなんだ… じゃあ… 許してあげるから、あまり気にしないで」
理想としていた女性からかけられたその言葉は、私にとっては憐れみにも似た耐え難いものでした。
今すぐにでもこの場から走って逃げ出したい衝動を、かろうじて堪えていたのです。
「保険は契約しなくても構いませんから… じゃあ、これで失礼します」
真奈美さんは私に背を向けると、振り返ることもなく改札の方へと歩いていったのです。
これほどまで、自分自身に対する惨めな気持ちを感じたことは無かったでしょう。
蔑まれ、憐れまれながら立ちすくむだけの自分を正当化する言い訳すら見つかりません。
私は別の改札からホームへの階段を登り、新宿行きの電車を待ちました。人のいない奥の空間で、今夜の出来事から自身を遠ざけるように立ちすくんでいたのです。
「川島さん…」
私を呼ぶ声に驚いて振り返ると、先ほど別れたばかりの真奈美さんが笑みを浮かべながら立っていたのです。
「ちゃんと反省してたのかな?」
とっさの事に口から返事がつかえ、ただ頷くことしか出来ませんでした。
「明日、休みでしょ。罪滅ぼしに買い物に付き合える?」
「え? 買い物に…」
「そう… 新しいDVDレコーダーが欲しいんだけど、あまり詳しくないから。男の人ならそういうのよく知っているでしょ」
「は… はい、大丈夫です…」
私は彼女から言われるままに次の日の約束をしたのです。
間もなく、ホームに入ってきた電車のドアが開きました。
「ほら… ドアが閉まっちゃうよ」
真奈美さんに促され、私は慌てて電車に飛び乗りました。
「前に保険の書類に書いてもらった川島さんの携帯番号に電話するから」
彼女はそう言うと、ドア越しに手を振ります。
電車が走り出し、彼女の姿が視界から消えてから、私はやっと今しがたの経緯を理解出来ました。
明日、また真奈美さんと逢えるんだ…
もう二度と口をきいてくれないと思ったけど、彼女から誘ってくれた…
真奈美さんの態度が変化した理由は、彼女自身でなければ判らないことなのでしょう。
そんなことよりも、完全に途切れてしまったと思った真奈美さんとの関係が、再び繋がったことへの嬉しさと安堵が込み上げてきたのです。
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